東海シロギス珍道中(8)― 魚を追いかけた七日間、人との出会いが一番の釣果だった ―

キャンプ

エピローグ

朝五時。
目が覚めた。
釣り人の習性なのだろう。
旅先でも自然とこの時間に目が覚めてしまう。
リアゲートを開けると、ひんやりとした朝の空気が車内へ流れ込んできた。
少しだけ昨日のお酒が残っている。

「昨日は、ちょっと飲み過ぎたかな。」

そう苦笑いしながら空を見上げる。
雲ひとつない青空。
今日も絶好の釣り日和だった。

「こんな日に帰るんだな。」

そう思いながら、もう一度空を見上げた。

「もう一週間遅らせて来ればよかったかな。」

そんなことを思いながらサイトを見渡す。
椅子やテーブル、クーラーボックス。
昨日までの楽しい時間が、そのまま残っていた。

最後の朝食は、パンとコーヒー。
それだけなのに、不思議と美味しかった。

コーヒーを飲みながら、この一週間を思い返す。
思い描いていたような大漁にはならなかった。
それでも、不思議なくらい満たされた旅だった。

時計を見る。

「そろそろ片付けよう。」

十時チェックアウト。
少し早めに出発しよう。

まず手に取ったのは、今回デビューした菓子缶コンロだった。

残った炭を処分し、灰をきれいに片付ける。

シロギスを焼き、
牛肉を焼き、
そして最後は、自分より少し大きなマグロのカマまで焼き上げてくれた。

初めての長旅だったのに、本当によく頑張ってくれた。

「ありがとう。」

そう声を掛けると、
どこからか、炭が小さくパチッと音を立てたような気がした。

まるで、

「次も任せてください。」

そう言ってくれたような気がして、思わず笑みがこぼれた。
続いて、ベテランエース。
ガソリンランタンの圧をゆっくり抜く。

今回は再来週の釣り部合宿でも使う予定なので、燃料はそのままケースへ戻した。
久しぶりの出番だったが、やはり頼れる存在だった。
静かな浜名湖の夜を、優しく照らしてくれた。

「また再来週も頼むぞ。」

ケースの中へ収まる姿は、どこか誇らしげに見えた。
毎日の食卓を支えてくれたテーブルを畳み、車へ積み込む。

そして最後は、長老タープ。
二十年以上前、キャンプを始めた頃に購入した相棒。
今回の旅へ出る前は、これが最後の仕事になるかもしれない。

そんなことまで考えていた。
でも、その考えはもうどこにもない。

青空の下で風を受ける姿は、まだまだ現役そのものだった。

ロープをほどき、ペグを抜き、一枚一枚感謝の気持ちを込めて丁寧に畳んでいく。

「次も使うよ。」

ケースへ収めると、ふわりと風が吹いた。
その風に乗って、

「どんなもんだい。」

そんな声が聞こえたような気がした。

「参ったよ。」
「まだまだ引退なんて早かったな。」

そう言ってケースを優しく撫でる。
毎晩、快適な眠りを支えてくれた車中泊マットも丸めて収納する。
今回が初めての長旅。
寝心地は想像以上だった。

おかげで毎朝、気持ちよく目を覚ますことができた。

「新人合格だな。」

そう声を掛けると、
少し照れながら、

「これくらい朝飯前です。」

と言っているように見えた。
すべての荷物を積み終え、ふと荷室を見つめる。

「あれ?」

来た時より荷物が少なく見える。
何か積み忘れたか?

サイトをもう一度見回る。
忘れ物はない。
積み方を工夫したからなのか。
それとも、ただの勘違いなのか。
理由は分からないが、荷室には少し余裕があった。

運転席へ座り、スタートスイッチを押す。
静かにメーターが灯る。
エアコンの涼しい風を浴びながら、ダッシュボードを軽くなでた。

「帰りもよろしくな。」

すると、

「その前に、もう一度海を見て帰ろう。」

そう言われたような気がした。

「そうだな。」

最後に鮫島海岸へ寄ってから帰ることにしよう。

鮫島海岸は、二年前の釣り部合宿で訪れた場所だった。
海岸のすぐそばまで車で入ることができ、防潮堤の上から広い海を見渡せる。
あの景色を、旅の最後にもう一度見て帰りたくなった。

管理棟でチェックアウトを済ませる。

「ありがとうございました。」
「また再来週、よろしくお願いします。」

管理人さんは笑顔で手を振ってくれた。
私も軽く手を振り返し、クラウンエステートをゆっくり走らせる。
バックミラーの中で、キャンプ場が少しずつ遠ざかっていく。

今回の旅を振り返る。

長老タープ。
ベテランエース。
新人の菓子缶コンロ。
車中泊マット。
そして、クラウンエステート。

誰も主役ではない。
でも、誰一人欠けても、この旅はきっと違う旅になっていただろう。
私は、この頼もしい旅の仲間たちを、

TEAM BYPLAYERS

略して、**T.B.**と呼ぶことにした。

「さあ、T.B.のみんな。」

「帰ろうか。」

クラウンエステートは、静かに帰路へ向けて走り始めた。
キャンプ場を後にし、私は最後に鮫島海岸へ立ち寄った。

鮫島海岸へ着くと、思っていた景色とは少し違っていた。
防潮堤の建設工事が進められており、辺りには工事車両が並んでいる。

車を停めようとすると、警備員の方が声を掛けてくれた。

「この駐車場も、今年の八月には防潮堤の最後の工事で無くなるんですよ。」

思わず、
「そうなんですか……。」
と返すしかなかった。

2年前、釣り部合宿で訪れた時と変わらず残っていると思っていた景色だった。
でも、その景色も、もうすぐ過去のものになる。

そう思うと、この場所へ立ち寄ったことが、急に特別なことのように感じられた。
車を降り、防潮堤の階段をゆっくり上る。
目の前には太平洋。

昨日より波は少し穏やかになっていたものの、まだ白波が立っていた。
しばらく何も言わず、その海を眺める。

「最後まで俺の味方はしてくれなかったな。」

思わず苦笑いが漏れる。
結局、この旅でシロギスの大漁には出会えなかった。
それでも悔しさより、「また来よう」という気持ちの方が大きかった。

「次は、絶対に釣ってみせる。」

海に向かって、小さくリベンジを誓う。
もう悔しさではない。
楽しみが一つ増えただけだった。

エステートへ戻り、スタートスイッチを押す。
静かにメーターが点灯する。

その瞬間、「お腹減ったよ。」
そんな声が聞こえたような気がした。

燃料計を見る。
針は、ほぼエンプティー。
そういえば今回は、一回満タンにすれば帰れる計算だった。

ところが、釣り場の下見をしたり、スーパーへ買い物に寄ったり、
思っていた以上によく走ってくれた。

「ごめん、ごめん。」
「国道へ出たら、ご飯にしよう。」

そう言って走り出す。

ところが、ナビは最短距離を案内し続け、なかなか国道へ出してくれない。
ようやく国道へ出たと思ったら、今度はガソリンスタンドが見当たらない。
こんな時に限って無い。

いつも思う。
必要な時には無くて、必要じゃない時にはやたらとある。
やっと見つけたスタンドへ入ると、フルサービスだった。
その隣にはセルフスタンド。

私は店員さんへ頭を下げ、

「すみません、隣で入れます。」

と伝えて、セルフへ移動した。

ようやく給油を終える。
エステートは、

「腹ペコだったよ。」

と少し文句を言っているようにも見えた。

でも、今回は満タンにはしなかった。
帰宅までの距離を考えれば、六分目くらいで十分だった。。

「これくらいが、お前にはちょうどいいだろ。」

そう言うと、エステートは満足そうに静かに走り始めた。

高速道路へ入り、快調に走る。
約二時間走ったところで、最初の休憩に日本平パーキングエリアへ入った。
車を降りた瞬間、それまで感じなかった疲れが一気に押し寄せる。

「疲れてたんだな。」

運転中はまったく気にならなかったのに、不思議なものだ。
時間はまだ昼前。
軽く昼食を済ませることにした。

フードコートを覗くと、私の大好きな富士宮焼きそばがある。

「これにしよう。」

そう思った。
ところが、目に入るメニューはセットばかり。

単品が見当たらない。
最近のお店は、売りたい商品ばかり大きく表示されていて、全部のメニューが分かりにくい。
しかも、先に食券を買わないといけない。

あの券売機の前に立つと、なぜか焦ってしまう。
落ち着いて選べない。
結局、単品が見つからず、カツ丼を選んだ。
席へ座る。

何気なく卓上のメニューを開く。

……

あるじゃないか。
富士宮焼きそば単品。

「くそっ。」

そう思った瞬間、ピーッ。

「カツ丼のお客様、お待たせしました。」

もう遅い。苦笑いしながら受け取りに行く。

しかも、そのカツ丼は、私が思っていた味とは少し違っていた。
それでも最後まできれいに食べる。

「まあ、これも旅だな。」

この旅は、こんなことばかりだった。
思い通りにいかない。
でも、それが後から思い返すと、一番印象に残る。
そんな珍道中だった。

少し休憩を取り、再びエステートへ乗り込む。

「さあ、帰ろう。」

自宅まで、あと約150キロ。
渋滞情報を見ると、この先は順調に流れている。
少しだけ残念だった。
このエステートには、高速道路で活躍する運転支援機能が備わっている。
行きは渋滞のおかげで、その性能を存分に体験することができた。

帰りも少しくらい渋滞してくれたら、旅の思い出を振り返りながら、
もう一度活躍してもらおうと思っていた。

そんなことを考える自分に思わず笑ってしまう。

午後三時を少し過ぎた頃。
予定より少し早く、自宅へ到着した。

エステートのスタートスイッチを切る。
静かになった車内で、私は荷室を振り返った。

「T.B.のみんな、お疲れさま。」

「本当に珍道中だったな。」

「ありがとう。」

今日はもう疲れた。
荷物は、明日ゆっくり降ろそう。
そう思い、私は家の中へ入っていった

翌朝。
旅の疲れはまだ少し残っていたが、私には最初にやりたいことがあった。
それは、今回の旅を最後まで支えてくれたクラウンエステートを
きれいに洗ってあげることだった。

潮風を浴び、雨に打たれ、砂ぼこりをまといながら七日間走り続けてくれた相棒。
よく見ると、ボディには砂や泥がこびり付き、旅の跡があちこちに残っていた。

まずは真水をたっぷりとかけて塩分を洗い流す。
続いてシャンプーで優しく汚れを落としていく。

少しずつ本来の輝きを取り戻していくエステートを見ながら、
自然と笑みがこぼれた。

「今回も、本当にありがとう。」

きれいになったエステートを前に、今度はTEAM BYPLAYERS、
略して「T.B.」のみんなを車から降ろしていく。

最初は長老タープ。
いつもなら物置の奥へしまうところだが、今回は違う。
一番取り出しやすい場所へ置いた。

「次もよろしくな。」

そう声を掛けながら、そっと立て掛ける。
続いてベテランエース。
いつもの定位置へ戻す。

「また夜を照らしてくれよ。」

ロッド、リール、釣り用クーラーボックス、食材用クーラーボックス。
新人の車中泊マットは自宅のロフトへ。

「今回の旅は快適だったよ。また頼む。」

そして新人の菓子缶コンロ。
今回の旅では、シロギスを焼き、
最後には自分より少し大きなマグロのカマまで見事に焼き上げてくれた。

もう新人とは呼べない立派な働きぶりだった。
物置の一番手前に、新しい定位置を用意する。

「ここがお前の席だ。」
「次も頼りにしてるぞ。」

最後に釣り道具を入れたバッカンを降ろし終え、車内の掃除を始める。
掃除機をかけると、伊良湖の砂が次から次へと顔を出した。

「こんなに連れて帰ってきたのか。」

思わず笑ってしまう。
車内もすっかりきれいになった。

「これで全部かな。」

そう思った、その時だった。

「忘れてない?」

そんな声が聞こえたような気がして、後席の隙間をのぞき込む。

「あっ!」

そこには、一夜干し用の干し網が静かに横たわっていた。

「ここに居たのか。」

思わず笑ってしまう。
今回は一度も出番はなかった。
それでも文句ひとつ言わず、ずっとエステートの中で旅を見守っていてくれた。

「ごめんな。」
「今回は出番を作れなかった。」

干し網を取り出しながら、そっと声を掛ける。

「でも、ありがとう。」
「次こそ、お前の出番を作るからな。」

物置へしまい終えると、ガレージはいつもの静けさを取り戻した。
きれいになったエステート。
それぞれの定位置へ戻ったT.B.のみんな。

旅は終わった。

でも、みんなが帰ったのは「片付けるため」ではない。
次の旅に備えるためだった。
私はガレージを見渡し、小さくうなずく。

「準備完了。」

夕方。
すべての片付けが終わった。
私はクラウンエステートをゆっくりとガレージへ入れる。

静かにスタートスイッチを切る。
車を降り、もう一度エステートを眺めた。
潮風を浴び、
雨に打たれ、
砂浜を走り、

七日間、文句ひとつ言わず私を運んでくれた相棒。

「ありがとう。」

自然と、その言葉が口をついて出た。
今回の旅は終わった。
でも、これは終わりじゃない。
ここが、新しい始まりだ。

「また行こうな。」
「次も、その次も。」

そう話しかけると、エステートが少し誇らしげに見えた。
実は、この旅をしながら心の中で育った夢がある。

いつか――
TEAM BYPLAYERS(T.B.)と一緒に、日本一周の旅に出ること。
まだ先の夢かもしれない。

でも、今回の旅で確信した。

この仲間たちとなら、きっと行ける。
まずは、豊川のおじさんと約束した秋の遠州灘。

その次の旅。
そして、そのまた次の旅。

一歩ずつ。
思い出を積み重ねながら。
私はガレージの照明を消した。
東海シロギス珍道中は、ここで一区切り。

でも――

私とTEAM BYPLAYERSの珍道中は、まだ始まったばかりである。

ここまでのエッセイは以下よりご覧ください。

プロローグ シロギスを追いかけて

第一章 旅は、鍵をなくしたところから始まった

第二章 雨を受け入れた日

第三章 雨の海がくれた贈り物

第四章 本命は三匹。でも、心は大漁だった

第五章 釣れない海で、自分に出会った

第六章 釣れなくても、旅は続く

第七章 ありがとうを伝える日

コメント

タイトルとURLをコピーしました